蕎麦好きの貴方!まずは知っておこう、蕎麦の歴史!

皆さん、【蕎麦ってどうやって作るの?】って聞かれたら何て答えますか?
穀物のソバの実を原料として作ったそば粉で「加水」「練る」「延し」「切り」「茹でる」
という工程を経て作られた麺類が蕎麦ですよね。
今回は、この古い歴史を持つ蕎麦を紹介して行きます。

蕎麦の種類と歴史!

昔は、このそばの実から作ったそば粉を麺にはせずに、熱湯でこねて餅状にして
食べる【そばがき】という物が食べられていたそうです。
後にうどんなどの様な【そば切り】という食べ方になったのが江戸時代からで
これが現代に至っていそうです。

この蕎麦には沢山の種類があり、殻が付いたままの物を【玄そば】と言い、
殻を取り除いたそばの実が【丸抜き】と呼ばれ、この丸抜きを挽いてそば粉を
作ります。そして、このそば粉に小麦粉をまぜて麺にして行くのです。

麺と一口に言っても沢山ありそば粉の作り方によって、更科そば・いなかそば・
十割そば・二八そば・変わりそば・茶そば・寒さらしそばなど沢山ありますよ。

蕎麦好きの貴方!十割そばと二八そばの違い知っていました?

お蕎麦屋さんの看板やメニューによく、【十割そば】とか【二八そば】という
名前をよく見ますよね。この十割とか二八ってなんなんでしょうか?

これは、蕎麦を作る時の蕎麦粉と小麦粉の割合で、二八そばとは蕎麦粉8割りに対し小麦粉2割りを混ぜて打ったもので、十割そばは小麦粉を使わずに十割が蕎麦粉で打ったそばの事で、そば粉の割合で呼ばれている様です。

「二八そば」語源の謎について

私も何の疑いも無く、蕎麦粉と小麦粉の割合の事だと思っていましたが、ある書物のなかで多くの蕎麦屋の名目が挙げられていて、そこのなかに「二八そば」や「二六そば」を名目にするそば屋が所どころにあると記載されているそうです。

そば切りは江戸時代初期に江戸で始まったとする近年の説をみると、徳川の初期には、今の様な蕎麦はなかったが、その後に二八蕎麦というのが出来た様です。それは饂飩の製法に倣って蕎麦粉二分と小麦粉八分の割合で打ったものだから二八蕎麦という名称が出来たそうで、江戸時代の初期にソバを粉にして水を加えて、こねて作ったソバ切りがそばの真価を高めたそうです。

「二八そば」の「二八」は当時としてはありふれた「二八」 または 「仁八」という人の名前で、そばの名目(キャッチフレーズ)として付けたのが「二八そば」であったというのが語源では無いか?といわれています。

「そば切り」はいつ頃から何処で始まったのだろう

「そば切り」は、何処で何時ごろに始まったのかは、ハッキリ分からないそうです。
ー江戸時代から始まったという説では、十七世紀になって甲州もしくわ信州で始まり、やがてそれが江戸や各地に伝わったとされている。

信濃、江戸、大阪、尾張、大和、京都と、わが国の三都を含む六ヶ所の地域でそば切りが作られていたと言われています。

これらの出来事からすると、すでにそば切りは誕生から相応の期間を経ていたと考えられるのと、もっと広い範囲で行われていたとも考えられます。

そば切り誕生の場所や年代はわかっていませんが、現在の初見より少なくとも一世紀はさかのぼることができると考えられ、その発祥は十五世紀、遅くても十六世紀初頭には出現していたのでは無いでしょうか?

まとめ

皆さん、どうでしたか?
「ニハ蕎麦」の呼び方は、単にソバ粉と小麦粉の割合だと、何の疑いも無く思っていましたが、人の名前から呼ばれたキャッチフレーズが呼び名になったとされる説が有るとは思いませんでしたね。

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